地元の人々ともに
明治13年に設立され、民法で社団法人とされれた第一号として多くの活動をしてきた日本海員棭済会ですが、明治35年に長崎に開かれた棭済会長崎病院は、創立当初は30床というこぢんまりした病院だったみたいです。
昭和に入ってからは、国内外の舟が無線連絡で医療相談ができる病院として指定されています。昭和20年の原爆投下の時は、病院事態、建物が半壊するほどダメージを受け、職員にも負傷者が出たのですが、稼働できるものはすべて使って救援活動をしたと記録に残されています。
戦争が終わり、翌年には12床という小さな病院として再スタートを切り、数年後には年末の診療を無料にしています。
その後、21床、25床、30床、百床…と、少しずつベッド数を増やし、さまざまな指定医療施設として認可を受け、地域医療、船員をはじめとした働く人、貧しい人の棭済を実現する医療施設として、その存在を示しています。船乗りだけでなく、地元の人の安心の要とも言えますね。